誉田八幡宮に到着しました。(1)の最初の写真が午後1時41分、この写真が午後2時33分の撮影なので、およそ50分で応神天皇陵を1周したことになります。
境内には出店が並び、お祭の日、という感じですが、人もまばらで、まだ静かです。
馬の像がありました。
となりの由緒書き。
植木で途中までしか見えませんが、「『日本書紀』雄略天皇の条に記された赤」とあるので、田辺史伯孫(たなべのふひとはくそん)が、娘の嫁ぎ先に行った帰り、赤馬に乗った人に会い(以下略)・・・という「赤馬伝説」のことだと思います。
2行目の「おうまやの跡」と「馬形埴輪片」については知らないのですが、応神天皇陵の馬形埴輪については、柏原市立歴史資料館の展示図録「赤馬伝説」によると、全容がわかるものはまだ出土していないそうです。
続いて誉田丸山古墳から出土した金銅透彫鞍金具(こんどうすかしぼりくらかなぐ)、源頼朝が寄進したと伝えられる蔦松皮菱螺鈿鞍(つたまつかわびしらでんくら)といった馬に関係することが紹介され、「この神馬は篤志家により寄」進されたと結んでいます。
拝殿です。
拝殿中央でお参り。右の部屋では神楽奉納が行われていて、巫女さんが剣を手に舞っていました。美しい・・・。
奥の本殿の前では、神輿(みこし)の飾りつけをしていました。
夜8時からは渡御(とぎょ)があります。この神事のときだけ立入禁止の御陵内に入ることができ、そこで御旅所(おたびしょ)祭が行われます。行ってみたいけど・・・人、いっぱいだろうなぁ。
時間を見ると、午後3時ちょっと前です。そろそろ帰らなくては。
お宮を出て、トボトボと歩いていたらだんじりに会ったので、もうちょっと見ていくことにしました。
大工方(屋根の上に乗り、方向の指示などをする人)のハッピ、「馬」の字が裏返しになっています。これは「左馬」といって縁起が良いのだそうです。
馬文化ひだか:馬を学ぶ:馬の雑学:幸福を呼ぶ「左馬」 | 日高振興局地域創生部地域政策課
見た感じ、右を向いているように見えるのに「左馬」。ヤヤコシイ。
空模様があやしくなってきました。なんとかもちこたえてくれるといいのですが。
あとをついていったら、お宮まで戻ってしまいました。今度こそ本当に、帰ります。
そして、小雨の降る中、帰るには帰ったのですが・・・
家族を誘って、夜にも来てしまいました!
雨もあがっていて、昼間とは全然違う賑わいようです。
ちょうど、だんじりがお宮から曳行に出るところでした。
拝殿の前をウロウロしてから、渡御の行列に並びました。既に長い列になっていたのですが、私たちが並ぶとすぐに後ろにも列ができました。
ひたすら、8時まで待ちます。
神輿が出てきて、御陵への入口(放生橋(ほうじょうばし)の手前)のあるほうへ向かいます。
でもまだ入口までは行かず、いったん止まり、神輿の下を行列の先頭の人からくぐります。くぐったら御陵のほうへ向かってすすみ、(段取りを知らないので前の人に倣って)また行列をつくって神輿を待ち、移動してきた神輿の下をもう一度くぐります。
そしていよいよ、いつもは締め切られている御陵へ。放生橋ではなく隣にある平たい橋を渡ります。狭い水路をひとつ越えただけなので、入ったのは内堤の上(かその手前)までだと思います。
御陵に入ると、強い土の匂いがしました。木に囲まれているので森の中にいるみたいです。野生動物(タヌキとか)が出てきそう。
御旅所祭のようすはほぼ見えませんでしたが、そのぶん音に集中できました。
終わりのほうで(たぶん巫女さんが)鈴をふってお祓いしてくださいました。
鈴の音が闇の中に響き渡り、木々の間にすいこまれていくとき、澄みきった風がすーっと流れていくようでした。