峠でひとやすみ

イラストと写真と雑記

南北朝時代の美~錦織神社

蒸し暑い日と雨の日の後の、すこしだけ暑さのやわらいだ日曜日、「ラーメンまこと屋」の半熟煮玉子鶏じゃんラーメンが食べたい!と思い、大阪府富田林市にあるお店に行くことにしました。

グーグルマップで場所を確認すると、近くに錦織神社があったので、カメラも持って。

 

最寄り駅である近鉄長野線川西駅に着いたときにはもうお昼どきだったので、まずはラーメン屋さんで空腹を満たします。

 

お店を出て、ちょっと戻ったところの交差点をまっすぐ西へ進んでいくと、木々の茂った神社らしき場所につきあたりました。でも参道ではなさそう。入ってみると拝殿前の広場に出ました。

 

↓参道の入口近くにある案内図です。全体は後ほど。

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 この図の上の道から入ってきたのでした。

 

拝殿をくぐると・・・

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お参りしてから、のぞき見。

 

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トリミングしてみました。キラキラですね。(^-^)

大阪観光局のサイトに本殿全体のわかる写真がありました。

osaka-info.jp

 

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この狛犬、好きだわ。

 

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拝殿に近いところに左右にのびる通り道があって、そこからだと屋根がよく見えました。

 

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和みます。

 

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帰りは長い参道をとおって。

 

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涼しくて心地よい空間。

 

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錦織神社について。字が小さくなってしまったので、3つめの段落までを書き写します。

錦織神社の鎮座しますこの地域は、古代錦部郡と呼ばれ錦を織る技術者の集落として、また水流の合流点として栄え、この地域の守護神として室町時代正平18年(1363年)に創建されたのがこの神社です。かつてこの宮は錦部の一の宮といわれ「河内三水分」の一つとして称えられていました。

 

御祭神は本殿中央に建速素戔嗚命、右に品陀別命、左に菅原道真公をお祀りし、摂社春日社には熊野速玉神、春日大明神、摂社天神社には火産霊神大国主神恵比寿神をお祀りしています。

 

本殿は入母屋造りとなっており、軒唐破風に千鳥破風を乗せた造形美に富んだ屋根は、室町時代を代表する建物として希少価値が高く、後に国宝日光東照宮の拝殿にも採りいれられています。

 

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こちらの解説には、藤原時代の古瓦が出土したことや、南北朝時代の造営責任者についても書かれています。

 

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鳥居の前の道は、東高野街道

 

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今回、上の図のように反時計回りに歩きましたが、ラーメンは後にして、時計回りに行ったらよかった!

古墳時代ジオラマ~大阪府立近つ飛鳥博物館

今さらかもしれませんが、YouTubeの「もずふるMozu-Furuichi」というチャンネルに、近つ飛鳥博物館のジオラマの動画が上がっているのを見つけました。

 私も、2019年1月26日に近つ飛鳥博物館に行ったとき、ジオラマの写真を撮っていたのですが、16mm単焦点レンズだけで行ったので小さくしか撮れず、わかりにくいので記事にしていませんでした。

でも今、外出自粛で写真ネタもないし、動画の紹介ついでにアップしたいと思います。

トリミングしてから、解像度を小さくしていますが、それでもやっぱりよく見えません。ゴメンナサイ。

 

ジオラマは、調査・研究の成果をもとに、想像を加えて製作されているそうです。

150分の1スケールということなので、人物は約1センチです。

 

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首長層の居館。広い濠に囲まれています。

(左奥の水面に冑と挂甲の復原模造品などが映り込んでいるのは無いものと思ってください)

群馬県の三ツ寺Ⅰ遺跡をもとにつくられています。

 

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牧。馬が飼育されています。

 

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鍛冶工房。

 

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勾玉つくりの工房。

 

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埴輪を焼いています。

 

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修羅をつくっています。

 

埴輪、修羅とくれば古墳!

古墳のつくりかた。

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土を掘ったり盛ったり。

りっぱなお墓がつくられる一方、木の陰には掘っただけの穴に葬られる人々がいます。

 

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修羅を使って、石棺を運びます。

 

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葬列のようす。ひれ伏す人々。

 

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葺石用の石を集め、葺いていきます。

 

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埴輪を並べて、できあがり。

 

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ケーキのように切ったところ。

竪穴式石室と長持形石棺。

 

古墳のつくりかたについては、いろんな説があるようです。別のパターン。

www.kk-bestsellers.com

www.kk-bestsellers.com

このような、りっぱなお墓に葬られる王や豪族の生前の暮らしはどんなものだったのでしょうか。

(ここからは想像の割合が多めかと思います)

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鷹狩り。

 

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狩りの見物。狩られているのは・・・鹿?

 

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使者の一行。

 

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王の宴。

王さま、遊んでばっかりみたいだな。

 

一方、その頃、民びとは・・・

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まさかの、お昼寝!?

 

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畑仕事もやってるよ。

 

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イノシシ(豚?)の飼育。私の推しジオラマ。後ろから激突されている人がいるのです。探してみてください。

 

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市のようす。

 

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木材を集めているらしい場所が見えます。

 

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竪穴の我が家。

 

「もずふるMozu-Furuichi」チャンネルの動画では細かいところまでわかります。1センチの人物の世界、スゴイです!

古墳時代のものづくり」と「古墳の築造(古墳模型映像)」です。見てくださいね。

www.youtube.com

冬季企画展「歴史発掘おおさか2019」(3月1日に終了)大阪府立近つ飛鳥博物館

パソコンを買いかえたり、仕事のことで悩んだり(もう解決した)でブログの更新をしていなかったので、2か月近く前のネタです。

2月24日、近つ飛鳥博物館へ冬季企画展「歴史発掘おおさか2019」を見に行ってきました。

展示は3月15日まで開催の予定でしたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため博物館が臨時休館となったため、3月1日で終わりました。

2月24日時点で既にイベントは中止、講座も延期という状況でしたが、梅がきれいに咲いていて天気もよかったこともあり、親子連れや写真を撮る方々がけっこう来られていて、おだやかな早春の休日という感じでした。

 

さて、この企画展は写真撮影可。 昨年の弥生博での失敗をふまえ、ISO1600固定で撮影しました。で、手ブレはほぼ回避できたのですが、ガラス越しのせいか、ぼや~んとした感じなのは否めない。

 

展示されていたのは、弥生時代から南北朝の頃までの、23もの遺跡の出土品です。

知ってる遺跡は藤井寺のだけで、わからないことも多かったけれど、とても興味深い展示でした。

その中からいくつか紹介します。

 

 

弥生時代

国府(こう)遺跡 (藤井寺市

国府遺跡は旧石器時代からの複合遺跡で、これまでに「ナイフ形石器」や、人骨の頭部とともにみつかった「けつ状耳飾り」など、考古学史上重要な出土があったところです。

今回は、弥生時代の土器と石器が展示されていました。写真は多様な石器たち。

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出土した石器には、製品になる前のものや失敗したと思われるものが多く、製作工房があった可能性も考えられています。

 

 

東奈良(ひがしなら)遺跡 (茨木市

南茨木駅付近に広がる複合遺跡で、弥生時代に大規模な集落があったことで知られています。写真は弥生集落のほぼ中心部で出土した絵画土器です。

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古墳時代

府中(ふちゅう)遺跡 (和泉市

縄文時代から近世までの複合遺跡です。

写真は古墳時代の土壙墓からみつかった陶質土器の甕にある鳥足文(ちょうそくもん)タタキ目です。

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 鳥足文タタキ目は百済地域の土器に多くみられるものです。この甕は朝鮮半島から容器として運ばれたものが、お墓の覆いとして再利用されたようです。

 お墓は6世紀前後につくられたと考えられています。

 

 

ウトジ池古墳群(四号墳) (和泉市

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 埋葬施設の堀形から出土した須恵器の小型壺。小さくてかわいい!

赤色顔料が入っていることから、葬送儀礼をおこなう巫女さんを想像したけど、実際どんなものだったのでしょう。

 

 

古代

畑ケ田(はたけだ)遺跡 (富田林市)

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石帯と呼ばれる石の帯飾り具です。うう、私の撮影では美しさが伝わらないわ。(>_<)

裏面の穴は帯に取り付けるためのものです。一緒にみつかった土器などから奈良時代のものと考えられます。

 

 

中世

大県郡条里(おおがたぐんじょうり)遺跡 (柏原市

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 どちらも14世紀ごろの土層に埋まっていたもの。

刀子(とうす)木型は、刀子(多用途ナイフ)の製作を依頼するときに形やサイズを指定するためのものです。

 木製物差しには、タテに3本、刻み目が見えるかと思いますが、その間にも小さい刻み目がはいっています。と書いても上の写真では無理があるので下にトリミングした写真もアップします。

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中世の一寸に近い3.3cm間隔とその半分の刻み目だそうです。

一般的な村の跡などから出土するようなものではないので、生駒山西麓にあったといわれる「河内六寺」のような寺院から流されてきたものではないかと考えられています。

 

(参考:大阪府立近つ飛鳥博物館図録79「歴史発掘おおさか2019-大阪府発掘調査最新情報-」、展示パネル)

マンガ「発掘ってなあにー貝塚篇ー」読みました

千葉県の市原市埋蔵文化財調査センターのウェブサイトに「発掘ってなあに」というマンガのシリーズがあるのをみつけたので、ぼちぼち読んでいます。

www.city.ichihara.chiba.jp 

「発掘のしごと篇」と「貝塚篇」を読んだところです。

私は貝塚というものを見たことがありません。そのせいか関心もあまりなく、食べ終わった貝の殻などを捨てたゴミ捨て場、という認識ですませていました。

だからこの「発掘ってなあにー貝塚篇ー」も、マンガじゃなかったら読んでなかったと思います。

で、読んでみて、めっちゃ面白かった。

地点貝塚のようなものしか想像してなかったので、まず2ページ目のムラの風景を描いたイラストに驚きました。エ、こんなデカいの?ほとんど建造物やん!

そして、人や犬も埋葬していたということ。

これは、ゴミ捨て場という認識でいいのか?

そもそも縄文時代の人にとってゴミってなに?

と、興味がわいてきたところで、貝塚の調査方法というのがまたすごい!

貝層全部持ち帰る?まじか。

分類作業も大変そう。

もうちょっと詳しく知りたくなったので、同じサイトにある「発掘いちはらの遺跡2号 特集:市原の大貝塚」も覗いてみました。

マンガでもとりあげられている西広(さいひろ)貝塚について詳しく書かれています。

そこにはさらにすごい事実が!

 貝層全部持ち帰るというのは、1982年の第4次調査からはじめられた新しい調査方法で、約1年を費やし、その量はコンテナ(パン屋さんの運搬ケースのようなプラスチックの箱)およそ2万箱。さらに調査は7次まで続き、総数は約3万7千箱!

私が整理作業のアルバイトに行ってたら1週間で辞めたかも。(>_<)

この膨大な遺物を洗浄、分類、同定、分析するという大変な作業を経て、多くの成果が得られました。

その中で、私が気になったことを書いておきます。

 ・モノによって捨てる(?)場所が決まっているらしいこと。・・・モノに、あるいは場所にどんな意味づけがあったのか。

・九州地方の阿高(あだか)式類似土器が出土していること。・・・九州とつながりがあるとすれば、どういうルートなのか。

・装身具はたくさんみつかっているのに、埋葬人骨に装着されてみつかったものはほとんどないこと。・・・死というものをどのようにとらえていたのか。

 

読みながら、縄文時代のくらしを想像していると、このような日々が、なぜ、どのように、弥生時代生活様式や価値観に変わっていったのかということも、すごく気になります。

 

マンガを読むつもりが長文を読んでしまったので、 頭やすめに、らくがき。

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祇園原(ぎおんばら)貝塚から出土したミミズク形土偶をモデルに「ヴィーナスの誕生」。

吉野駅から火見櫓をめざし如意輪寺にお参りして帰る

観心寺に行ったら、楠木正行ゆかりの如意輪寺にも行きたくなったので、1月13日、吉野に行ってきました。

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 近鉄吉野線吉野駅のプラットホーム。設計は吉野郡下市町出身の建築家、岩崎平太郎。アーチがかっこいいです。

 

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 昭和3年の開業時は吉野鉄道でしたが、昭和4年大阪電気軌道(いまの近鉄)が吉野鉄道を合併したそうです。

www.kintetsu.jp

 

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 せっかくなので、ロープウェイ(ケーブル)に乗って吉野城の火見櫓へも行くことにしました。

吉野山ロープウェイは、国内現役最古のロープウェイで、日本機械学会機械遺産第52号に認定されています。

(ロープウェイはお休みの日もあります)

 

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乗ってきた「さくら号」。

 

あとは、ひたすら坂道をのぼります。

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「坂道きついけどがんばりや~」と言ってくれているよう。

 

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金峯山寺の横の坂道から。

 

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 ぽすくま。

 

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カメラを向けたらそっぽを向かれた。後ろ姿もカワイイ。

  

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天王橋を渡り、猿引坂を登れば到着です。 中央が「大塔宮仰徳碑」。 大塔宮とは吉野城で戦った護良親王のことです。

右手奥の高くなっているところが火見櫓で、金剛山楠木正成たちと連絡をとるのに使われたそうです。

yoshino-kankou.jp

 

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護良親王後醍醐天皇の皇子です。

父のためにがんばって戦った(←私感)のに・・・。

 

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 火見櫓には三角点がありました。

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 しまった、金剛山がどっちの方角かわからない!

 

(・_・)

 

気を取り直して、天王橋まで戻り、如意輪寺へ向かいます。

吉野は桜の名所でしかも世界遺産なので、案内板も整備されていてわかりやすいですが、分岐が多いのでガイドマップなど持っていったほうが安心です。

私は奈良の観光地を歩くときは、山と渓谷社の「奈良 大和路 歩く地図帳」というムックを参考にしていますが、この日は持っていくのを忘れてしまって不安でした。

 

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ここまで来たら、もう安心。

 

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手書きの案内板に「後醍醐天皇が歩かれた道です」とありました。

 

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しんどい。でも、あと少し。

 

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 山門が見えました。

 

本堂にお参りして、後醍醐天皇陵へ。

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またもや階段。でも、段数はそんなにない。(と思うのは後村上天皇陵に行ったせいかな)

 

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 後醍醐天皇陵。

吹く風が木の葉をゆらし、ザワザワという音が周囲をめぐって、ただならぬ雰囲気。もちろん、その日の天候次第で、穏やかな日もあるのでしょうけど。

 

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階段の途中には、世泰親王のお墓。

  

楠木正行が辞世の歌を刻んだ扉は宝物殿にあります。(宝物殿は御霊殿や多宝塔などとともに、拝観料が必要です)

かえらじと かねておもえば梓弓

なき数にいる 名をぞとどむる

 このときどのような状況だったのか。

父・正成の死後、どのような日々だったのか。

想像しきれないけれど、そのことを考えていると「失敗が怖くてなかなか実行できない」「基本、逃げモード」な自分が見えてきました。このままでは死ぬとき後悔するにきまっているな。少しずつでも、やりたいと思っていることをきっちりやる方向にもっていこうと思います。

 

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 多宝塔。

 

本堂前へ戻って。

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「楠正行公お手植えの木斛(もっこく)」。

影に光さす観心寺

走り去る車のナンバープレートの「なにわ」の文字が「はにわ」に見えたとある秋の日、肩を痛めてしまいました。

それ以来、2か月近く、やらなければならないことをするだけでヘトヘトな状態でしたが、だいぶ回復してきたので、今年の紅葉を撮っておきたいと思い、12月1日、大阪府河内長野市にある観心寺に行ってきました。

 

 観心寺へは、近鉄長野線または南海高野線河内長野駅から南海バスで20分くらいです。

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バス停から山門へ行く途中できれいな花をみつけました。名前は知りません。

 

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楠木正成銅像

観心寺は、少年時代の楠木正成が学んだところです。

のちに、後醍醐天皇の勅により、正成を奉行として金堂が建てられました。

正成は三重塔の建立を計画しましたが、湊川の戦いで亡くなったため完成せず、建掛塔(たてかけのとう)として残っています。

 

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 「南朝史蹟」って書いてありますね!

 

観心寺がどんなお寺なのかほとんど伝わらない写真ばっかりですが、よかったら見てください。

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 後村上天皇陵へつづく階段の登り口です。

 

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 登って行った先の坂道を進んでいくと・・・

 

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 まだまだ階段!

 

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 やっと着きました。

木々に囲まれた、静かなところです。陽の光が神々しく思えました。

 

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 建掛塔にそなえてあったのだと思うけど、記憶力が頼りない。

 

 

帰りにお寺の近くの軽食屋さんで、お抹茶と「にっき餅」をいただきました。

店内に雪が積もった観心寺の写真が飾られていました。とても美しいけれど、めっちゃ寒そう!!

そんな季節は、もうすぐです。

「白兎のクニへ-発掘された因幡のあけぼの-」大阪府立弥生文化博物館

8月18日、夏季特別展「白兎のクニへ-発掘された因幡のあけぼの-」を開催中の大阪府弥生文化博物館へ行ってきました。

 

写真撮影は1部を除いてOKだったのですが、ここしばらく、晴天の日中でしか撮っていなかったので、「ISO感度をあげる」ってことをスッカリ忘れていて、絞りをいっぱいまで開いたらあとはひたすらシャッタースピードを遅くすることで明るくして撮りました。結果、1/8秒なんてことになってしまい、ブレブレ写真量産・・・。

1/40秒で撮れたものはどうにか見られるので、少ないですが、紹介したいと思います。

 

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 突帯文土器壺/本高弓ノ木(もとだかゆみのき)遺跡/縄文時代晩期~弥生時代前期

 外形の曲線が美しいなぁ。

 

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 サメを描いた土器(レプリカ)/青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡/弥生時代中期末

 他にも、琴板や石、銅剣などにサメが描かれたものがありました。

 

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 花弁高杯(レプリカ)/青谷上寺地遺跡/弥生時代後期

木器です。優雅~。

 

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 花弁高杯/乙亥正屋敷廻(おつがせやしきまわり)遺跡/弥生時代後期

 これもすごい。自分の弥生時代の認識、間違ってました。

 

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 台付装飾壺(レプリカ)/青谷上寺地遺跡/弥生時代後期

 

 

ほんとにチョットしか紹介できませんでしたが、縄文土器など盛りだくさんで、 とても見応えのある展示でした!