近くに用事があったので、大阪府羽曳野市にある野々上埴輪窯跡と誉田白鳥埴輪製作遺跡に行ってきました。
野々上埴輪窯跡
6世紀前半ごろに操業していたと推定される埴輪窯です。
解説パネルしか見当たりませんでした。1号窯は道路になってるっぽいです。
道路をはさんだ向かいに、ボケ山古墳(宮内庁により仁賢天皇陵に治定)があります。野々上埴輪窯跡は羽曳野市ですが、ボケ山古墳は藤井寺市になります。
この古墳の外堤から出土した埴輪は、すべて窖窯焼成、タテハケ調整です。野々上埴輪窯跡から出土した埴輪と共通の調整技法であり、場所も近いため、野々上埴輪窯で生産した埴輪がボケ山古墳へ供給されたと考えられています。(国立歴史民俗博物館編「はにわ人は語る」山川出版社、67ページ)
誉田白鳥埴輪製作遺跡
遺跡の一部、国道170号線の東側は遺跡公園として整備されていました。
1号窯のあったところ。
上の地図の広い道路の東(左)のエリアに、赤で細長く描いてあるのが1号窯です。
地図の隣に、2、3、4号窯を表現したミニチュアの模型があり、そのうちのひとつは、中の様子がわかるようになっていました。ここの窯跡だけでは不明なところは野々上埴輪窯跡を参考に復元したと説明書きにありました。
5世紀後半から6世紀前半ごろまで操業されていたと考えられていますが、近い範囲に古墳がいくつもあるため、供給先の特定はよっぽど似た埴輪が出ないと難しいそうです。(「はにわ人は語る」74、75ページ)