千葉県の市原市埋蔵文化財調査センターのウェブサイトに「発掘ってなあに」というマンガのシリーズがあるのをみつけたので、ぼちぼち読んでいます。
「発掘のしごと篇」と「貝塚篇」を読んだところです。
私は貝塚というものを見たことがありません。そのせいか関心もあまりなく、食べ終わった貝の殻などを捨てたゴミ捨て場、という認識ですませていました。
だからこの「発掘ってなあにー貝塚篇ー」も、マンガじゃなかったら読んでなかったと思います。
で、読んでみて、めっちゃ面白かった。
地点貝塚のようなものしか想像してなかったので、まず2ページ目のムラの風景を描いたイラストに驚きました。エ、こんなデカいの?ほとんど建造物やん!
そして、人や犬も埋葬していたということ。
これは、ゴミ捨て場という認識でいいのか?
そもそも縄文時代の人にとってゴミってなに?
と、興味がわいてきたところで、貝塚の調査方法というのがまたすごい!
貝層全部持ち帰る?まじか。
分類作業も大変そう。
もうちょっと詳しく知りたくなったので、同じサイトにある「発掘いちはらの遺跡2号 特集:市原の大貝塚」も覗いてみました。
マンガでもとりあげられている西広(さいひろ)貝塚について詳しく書かれています。
そこにはさらにすごい事実が!
貝層全部持ち帰るというのは、1982年の第4次調査からはじめられた新しい調査方法で、約1年を費やし、その量はコンテナ(パン屋さんの運搬ケースのようなプラスチックの箱)およそ2万箱。さらに調査は7次まで続き、総数は約3万7千箱!
私が整理作業のアルバイトに行ってたら1週間で辞めたかも。(>_<)
この膨大な遺物を洗浄、分類、同定、分析するという大変な作業を経て、多くの成果が得られました。
その中で、私が気になったことを書いておきます。
・モノによって捨てる(?)場所が決まっているらしいこと。・・・モノに、あるいは場所にどんな意味づけがあったのか。
・九州地方の阿高(あだか)式類似土器が出土していること。・・・九州とつながりがあるとすれば、どういうルートなのか。
・装身具はたくさんみつかっているのに、埋葬人骨に装着されてみつかったものはほとんどないこと。・・・死というものをどのようにとらえていたのか。
読みながら、縄文時代のくらしを想像していると、このような日々が、なぜ、どのように、弥生時代の生活様式や価値観に変わっていったのかということも、すごく気になります。
マンガを読むつもりが長文を読んでしまったので、 頭やすめに、らくがき。