2月6日、散歩がてら墓山古墳(羽曳野市)と野中古墳(藤井寺市)の写真をスマホで撮ってきました。
下図の①~⑤はだいたいの撮影地点です。(ホントにだいたいです)
まずは墓山古墳。
①
5世紀のはじめ、誉田御廟山(こんだごびょうやま、応神陵)古墳と同じ頃につくられたと考えられています。
墳丘長225メートルの前方後円墳です。
②
後円部の直径は135メートル。写真にはおさまりきらないけど、白鳥陵よりも近くで見られるのがいいですね。
③
平たくなっているのが見えます。1段目かな?
この古墳は、3段に築かれているそうです。
④
北へ少し歩くと住宅の間に、墓山古墳の陪冢(ばいちょう)といわれている野中古墳があります。
⑤
1辺37メートル、2段築成の方墳です。
この古墳、大きさのわりに出土品がスゴいのです。
短甲11領、鉄刀153本、鉄剣16本、鉄鏃約740本、大量の鉄製農工具、4万点超の滑石製模造品、など・・・。
大阪大学のサイトに詳しく紹介されています。(出土状況の図面や写真もあります)
庶民の私は、武具はともかく、農工具は埋めるんじゃなくて作業をする人たちに使わせてくれればいいのに、と思ってしまいます。
革製衝角付胄の復原模造品と、襟付三角板革綴短甲・眉庇付胄の複製品は、近つ飛鳥博物館に展示されています。
以下、2019年に行ったときに撮った写真です。
カメラのホワイトバランスの操作ミスで黄色っぽく写っています。すみません。
野中古墳については墓山古墳との関係(つくられた時期の差)や、人体埋葬があったかどうか(人体埋葬があった可能性を示す赤色顔料が撒かれているのに、その範囲が長さ70センチ程度しかない!?)が議論されていて、興味深いです。