峠でひとやすみ

イラストと写真と雑記

黒姫山古墳と堺市立みはら歴史博物館

5月3日、黒姫山古墳とその近くにある堺市立みはら歴史博物館に行ってきました。

黒姫山古墳は、百舌鳥古墳群古市古墳群の間に位置する前方後円墳です。

古墳のまわりは整備されていて、広場や復原模型がありました。

前方部でみつかった竪穴式石室と埴輪列の復原模型。

 

前方部の竪穴式石室からは、甲冑や武具、武器が出土しました。人骨は見つからず埋葬スペースもなかったので、副葬品だけを埋納した施設と考えられています。

 

墳丘と濠。

 

墳丘長114m、前方部幅65m、後円部径64mで、2段築成なんですが、見た目ではわからないですね。(この記事を書くために大阪府のウェブサイトを調べたところ、前方部の一部に、墳丘や葺石、円筒埴輪列が復元されているそうです。一周してみればよかった )

 

みはら歴史博物館の展示室に、模型がありました。

(博物館で写真を撮ると、ブレブレだったり、ボケボケだったりするので、今回、思い切ってISO3200にしてみたら、予想はしてたけど画質ザラザラです)

 

後円部の埋葬施設は盗掘にあったようで破壊されていましたが、石室跡周辺から滑石製紡錘車、衝角付冑の破片、須恵器の破片がみつかっているほか、靫形埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪などが出土しています。

 

この円筒埴輪はハケメがはっきりしてわかりやすいですね。

 

前方部の石室から出土した甲冑の種類。

24領の短甲はすべて鋲留(びょうどめ)され、革綴(かわとじ)によるものはなかったそうです。

 

冑と短甲のうつり変わりの図。

 

明るく調整した画像

横矧板(よこはぎいた)鋲留短甲。右前胴開とありますが、なんのこっちゃ?

それがわかるのが次の図です。

 

脇のところに蝶番とあります。鋲留でつくると短甲はカッチカチになるので、前胴がパカッと開くようになっているのです。

あと、この図の短甲の上と下の端のところに、覆輪(ふくりん)とありますが、その見本がコレ。

体が傷つかないように触れる部分を鹿皮で綴じているのです。

 

三角板鋲留短甲。これも右前胴開。

 

三角板鋲留短甲。これは左右胴開とあります。両前胴が開くってことかな。

 

頸甲(あかべよろい)に肩甲がくっついているもの。

 

横矧板鋲留衝角付冑。

 

小札(こざね)鋲留眉庇付冑。

 

三角板鋲留襟付短甲。右前胴開です。

360度見られる展示になってました。襟付だとトクベツな感じ。

 

 

黒姫山古墳以外の展示についても、ちょこっと紹介します。

古代寺院についての展示。

黒山廃寺から出土した瓦です。左の3つは飛鳥時代後期のもので、創建されたときに使用されたものと考えられています。

 

 

河内鋳物師(かわちいもじ)についての展示。

河内鋳物師とは、河内国丹南郡と八上郡(堺市東区美原区周辺から松原市にかけて)に住んでいた鋳造技術者集団で、特に平安時代末から鎌倉時代に活躍したそうです。

恥ずかしながら、ここに来るまで知りませんでしたが、日本各地の梵鐘を鋳造したスゴイ人たちでした。

 

鋳造のようすを再現したジオラマもあります。

 

 

展示を見たあとは、館内にあるカフェ「風遊(ふらり)」で、お菓子付きのコーヒーでひとやすみ。

この日のお菓子は甘栗とクッキー。癒されました。