2月最後の土曜日、朝食を食べながら、関西ローカルの情報番組を見ていたら、北野天満宮の梅苑を紹介していました。それで、地元近くの道明寺天満宮に行きたくなり、翌日の3月1日に行ってきました。
電車で行くには、近鉄南大阪線の道明寺駅で下車します。
この駅の近くには、「道明寺天満宮」と「道明寺」というふたつの道明寺があります。明治の神仏分界により離されたのだそうです。

天満宮は梅の紋。

御祭神はもちろん、菅原道真。
天穂日命(あまのほひのみこと)は天照大神と素戔嗚尊が誓約(うけい)をしたときに生まれた神さまです。
高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)が、孫の天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)を葦原中国(あしはらのなかつくに)の君主にしようと思い、その地を平定するために天穂日命を派遣しました。しかし、天穂日命は葦原中国の大己貴神(大国主命)と仲良くなってしまい、戻ってきませんでした。
天穂日命は、出雲国造(いずものくにのみやつこ)や土師(はじ)氏たちの祖神です。
土師氏については、堺市博物館の図録にあった説明がわかりやすいので引用します。
『日本書紀』では土師氏は古墳造り(埴輪作りや管理監督、儀礼を行う)や、土器作りなどに関わったと書かれています。実際には「土師氏」は6世紀以降に登場したようですが、土師氏の先祖にあたる人々が埴輪作りや古墳造りに関わったと考えられます。
(図録「企画展 ハニワ大解剖ー埴輪の謎を解き明かせ!ー」堺市博物館 2024)
道明寺のあるこのあたりの地域にも、土師氏が住んでいたと考えられています。埴輪窯跡もみつかっています。
写真の「由緒」には、推古天皇の2年(594)に「土師八嶋が自宅を喜捨し土師寺を建立」とあります。
時は流れ、天武天皇の13年(684)12月には、
癸未(六日)に、大唐に遣わされた学生の土師宿禰甥・白猪史宝然(いずれも後日「大宝律令」の撰定に参加)、および、百済の戦役のとき大唐に捕えられた猪使連子首・筑紫三宅連得許が、新羅を経由して帰朝した。
(井上光貞 監訳/笹山晴生 訳「日本書紀(下)」中公文庫 2020)
※青字は訳者による注釈
とあります。
ここに書かれている「土師宿禰甥(はじのすくねおい)」の孫に、古人という人がいます。古人は「土師」から「菅原」へ改めることを願い出て許されます。
古人の子孫が、清公ー是善ー道真、です。
覚寿尼は道真の叔母で、土師寺(道明寺)に住んでいたそうです。
説明が長くなってすみません (^-^;)
「撫で牛」を撫でてから、ふらふらと写真を撮り、



拝殿のほうへ進みます。
拝殿の前は、ちょっとだけ行列ができていました。かっこいい彫刻があって、獅子かな?と思いながら待ちました。
おまいりしたあと、梅園へ。

もう散りはじめで、地面に落ちている花びらもたくさんありました。

散るのはわかっていても、今は咲く。
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道明寺天満宮にある復元埴輪窯や復元修羅の写真が過去記事にありますので、ご興味があれば見てください。