10月11日、四天王寺で開催されていた「秋の大古本祭り」へ行ってきました。
ちょうど四天王寺宝物館で「金剛組 ー四天王寺を支えた宮大工たちー」という展示があったので、それも見てきました。
まずは宝物館へ。拝観料は500円。
金剛組とは、金剛家が創業した寺社建築の建設会社です。
金剛家の初代は、聖徳太子が四天王寺を建てるとき百済から呼び寄せた技術者のひとりで、完成後も四天王寺を護るよう太子に命じられたと伝えられているそうです。
展示は、文献史料、江戸時代の四天王寺が描かれた屏風、図面、写真、大野新一さんが使っていた製図道具、手斧始(ちょんなはじめ)式の道具など。
図面はどれも素晴らしく、特に昭和15年(1940年)の「四天王寺五重宝塔図」の美しさに感動しました。
この「四天王寺五重宝塔図」は、室戸台風で倒壊した五重塔を再建したときの立面図です。図面には「参拾八世 金剛廣目」という名が書かれているのですが、これは37世金剛治一さんの死(先祖の墓前で自害)後、あとを引き継いだ妻の芳江さんのことで、図面をひいたのは大工・設計をしていた大野新一さんだといわれています。
パンフレットの「大野新一について」という論考には、
実際の製図は吉村が担当していたが、大野も施工するにあたって、自身も学ぶために描かずにいられなかったのだろう。
とありました。(「吉村」というのは四天王寺建築技師の吉村孝義さん)
大野さんは「学者と大工が二つ寄ってはじめて仕事ができる」と言っていたそうで、伝統建築をつくることへの情熱、すごいなぁと尊敬しました。
昭和15年の五重塔は、5年後、大阪大空襲で焼失してしまいました。
戦後の復興では、建築基準法の制約のため鉄骨・鉄筋コンクリート造で建てることになり、五重塔を大林組、金堂を金剛組が担当しました。
復興計画のときの、中心伽藍の構想図も展示されていて、これも見入ってしまった。
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さて、宝物館を出て、「秋の大古本祭り」へ。
西重門前の広場に設置されたテントの下、ぎゅうぎゅうに本が並べられていました。
本を見ていると、足元にハトが現れたり、木陰でひとやすみしていたらスズメが歩いていたり。屋外ならではの楽しさでした。
この日買った本。
「発掘された日本列島 '98新発見考古速報」
「アサヒグラフ別冊 古代史発掘総まくり2000」